【こものののほほん博物部屋】




おっ? 
……みつかってしまいましたか。
ここは私の隠し部屋です。


世間ではたぶんどうということもないような、つまらないかもしれないようなもの。
でも、じぶんだけは大事にしている。
そういった何気ない、個人的にちょっと大切にしている所有物を、そっと棚から出してきて、ここではほんのりと自慢したいと思います。


1.[河西準之助の洋鋏]

これは、明治期に作られたと思われる鋏〈はさみ〉です。
ただの古い鋼鉄製のはさみです。
でも、私にとってはたいへん感慨深い品物なのです。

と申しますのは、私のおじいさんのそのまたヒイおじいさんが作った物だからです。
祖父の曽祖父の名前は河西準之助(かさい・じゅんのすけ)と申しまして、長野県の諏訪地方に住んだ江戸末期からのかんざし職人で、発明家でもありました。

鉄工業を営んでいた私の祖父が「おひいさま」と呼んで尊敬し、広い池のある庭の真ん中に胸像を建てたりして崇めていました。子供の頃に盆や正月に帰省すると、祖父はよくその準之助という人物の言い伝えをきかせてくれたものです。

準之助は文明開化で流れ込んでくる西洋文化を模して、紡績機を作ったり、下駄に刃をくっつけたスケート靴「下駄スケート」を作ったりしました。それらは河西式紡績機とか、カネヤマ式下駄スケートと呼ばれていたそうで、下駄スケートは全国に広まり、とくに日本におけるスピードスケート大会発祥の地・諏訪湖では戦後まで市民の間で使用されていたようです。

「日本で初めてスケート靴を作った人だで。うんと偉い人だよ」と祖父は誇らしげでした。
私も小さい頃からその世間では無名に近い先祖偉人伝説に感化され、一人の男として生まれたからには、かならずや自分も何かしら世に役立つ発明をしなければ、と強く心に銘じておりました。
ただ、大人になってインターネットの時代が来て色々検索してみると、「下駄スケートの発明者」には北海道や新潟にもいくつかルーツにまつわる言い伝えがあって、どうも準之助は最初に制作した人物ではないのではないか、という感じがしてきています。

蛇足ですが、私が父にそのことを話した時、こう即答が返ってきたのには驚きました。
「たとえそうであっても、自分の中での準之助の価値は変わらない」
いやはや、先祖から何らかの矜持やエネルギーをもらうことは良いことではあります。
がしかし、発明者なのか否かという歴史的事実にかんして私はその真偽を問うていたわけで、……たしかに代々小さな家系の偉人伝を信じてきた我々父子にとっては、「それじゃ違ったのかい」というまさかの展開は拍子抜けで、できれば信じたくはありませんが、それでも客観性というものは、やはり私にとっては重要な要素なのでございます。

ここまでくると、世界に冠たる自動車会社をおこすことになった豊田喜一郎が同じ頃作った紡績機と比較すれば、準之助の紡績機は今となっては影も形もないわけで、同じく今となっては誰も履かない下駄スケートの発明者が準之助であっても、そうでなくても、もはや子孫である私にとってさえどうでもいいことである気がしてきたのでした。そもそも、いずれも西洋文明の真似モノであったわけでもあり……

ところで、準之助はずいぶんと日本を広く旅したといいます。
鳥居建造の寄付を募るのが目的だったそうで、主に西日本から相当大量の古銭を持ち帰り、それを大量に溶かして諏訪大社のために大きな鳥居を建てました。
鳥居建造が目的でお金を集めたと聞くと、ふつうは建造資金を集めていたのだろうと考えますが、準之助はお金そのものを溶かして建築材料にするために集めて回っていたという意外性は、子孫の私としても(そっちか〜!)と、してやられた気持ちになります。古銭を溶かしちゃうなんてもったいないような気も同時に致します。
現在もその鳥居は残っていて、中山道(国道20号)と県道184号の 交差点の春宮大門に、たまに自動車にぶつけられながらも、くすんだ色合いでひっそりと立っています。


河西準之助については、こうしたいくつかの祖父から聞いた伝承以外には、その容姿も、生きざまも、性格も、思想も、何も現代に伝わっていません。
かんがえてみるたびに、いつもこのことを私は奇妙に思うのです。
なぜ私はたった5代前の(遺伝的には約32分の1が私に伝わっている)先祖のことを、こうも知らないのだろう? 彼らの生きた日々は完全に消えてしまって、遺伝的な雰囲気しか私のなかには残っていないのだろうか?
準之助は、いくつかの伝承や名前が残っているだけでもまだ良いほうです。
ほかの先祖の人々は、一体どんなだったのか。
なぜ、これほどまでにすべてが、時間の流れのなかでかき消えてしまうのでしょうか。


この5代先まで残っている準之助の鉄製洋ばさみは、シンプルなつくりをしていますが、紙を切ってみると今でもスイスイよく切れます。彼の職人気質が透けて見えます。
おそらく本家にはまだ色々な品物があるとは思いますが、しかし私の父が次男坊だったということもあり、私のところにはたったひとつこの鋏だけが伝わりました。
祖父の曽祖父の面影は、私にとって、このはさみに集約されています。

つい先ほど、2歳半の次男が部屋にやってきました。夜10時を回っても眠れない様子で、寝室をぶらぶらと抜け出してきたのです。「あっぼー(遊ぼう)」といって私の膝の上に両腕を投げ出してきました。
私は子供を膝に抱いてパソコン画面を見せ、「これ、なーんだ?」と聞いてみました。
準之助の鋏は、現代のはさみと印象が違います。
それでも、じーっと見ていた次男はしばらく沈黙の後に、
「ちょきちょき。……はちゃみ」
と答えたのでした。
思わず私は「わかるのか!」と言って、すべてがもちもち肌で構成されている幼い息子をぎゅうぎゅう抱きしめてしまったのでした。
 2018.6/4  

     〃 〃 〃 河西大地の手植えノートWebsite 〃 〃 〃