学校図書館全体の運営方針にかんして:

 9月、糸満市内と沖縄県内の学校図書館全体の運営方針にかんして、2つの議案をあげる。

 ◯ ひとつは、適正蔵書数の見直し。いま沖縄県内の図書室の多くは、1993年(パソコンのない時代)から更新されない文部科学省「学校図書館図書標準」に則っており、その計算式による蔵書数を超えたなら本を廃棄しなければ、教育委員会が予算を出し渋るのが通例になっている。しかし、公益社団法人 全国学校図書館協議会が2021年に改訂した「学校図書館メディア基準」では、文科省の2〜3倍は蔵書が必要とされているのだ。生徒たちの実感として、図書室の本が少ないのだから、後者を目指しながらそのための予算をつけてもらうべきである。

 ◯ ふたつには、図書室の第1次資料(図書室だよりや写真記録)を永久保存して、市内の学校図書室同士で共有バックアップする仕組みをつくることである。現在は市町村の取り決めで、図書室の発行物を3〜5年のうちに廃棄するルールがしかれている。つまり、それまでの図書室の歴史はまったく闇に消えていくのが現状なのだ。まるで焚書だ。校長室には歴代校長の真影が歴史となって蓄積しているのに、情報を収集・管理・利用する仕事を司っているはずの図書室で、自らつくった情報資源を残さず、これまでの経緯がまったく知れないのは奇妙である。個人情報漏洩の心配については対処もできよう。バックアップは、市内の小中学校図書室でデジタルのかたちで共有すれば済むのだから、ほとんど手間もお金もかからない。情報共有すれば相互に参考にも刺激にもなる(それこそが文化というものだ。文化は総じて"情報資源の再利用の系譜"と捉えることができるのだから)。

 しかし今のところ、どちらの提案にも関係者から賛否両論が出ており、反対意見のほうが多い。「政府に従うべき」「現状維持を望む」「まだ最低限の目標も達していない図書室もある」「図書室が狭いから本を増やしたくない」「仕事が増えるのが心配」「記録を残すことに意味を感じない」「そもそも記録を残していいものか疑問」「本を廃棄しにくくなる」などの意見に、価値観の大きなギャップをひりひりと感じる(ある意味でたいへん面白くて勉強になる)

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 ところで、小学校図書室にNDC(日本十進分類法)の類・網をつかうこと(つまり1桁目を0にしてシンプルにしたもの)は広く行われているが、それでも私がすごくおかしいと感じるのは、「外国文学」のカテゴライズである。地球規模の地域別でそれぞれ著者名五十音順になっていて、極めて煩雑なのだ。ここは「日本文学」と同様(相似・対峙する形で)、名字(ファミリーネーム)ですべての国を混ぜて配置するべきであろう。

 私は実際そのように、小学校図書室の「外国文学」をひとまとめの別置のようにして配置してみた。子どもたちにも先生方にもそのほうが使いやすい、と(当然)なった。原作が何語で書かれた本かが分からなくても、著者名で配架・探書が可能なのだから。しかし古参の司書さんがたの視点からすればそれは「とんでもない」とのことらしい。NDCに則るべきというのである。各国地理を勉強していない低学年の子どもがつかう本棚についても、系統言語学的知識さえ必須のNDC分類に則って「外国文学」を配置すべきである、という慣習が骨の髄まで浸透している。アホだ。

 そもそもの話、NDCに子ども用がないために、小・中学生向けの図書分類として適切な分類法が世の中に普及していないのである。人間の成長過程に沿ったかたちに改変したNDCを、トップダウンで提示してしかるべきだと思う。NDCをひとつの体系として保つためにも(それに上位互換性をもたせたかたちで)、運営組織が直々にこしらえるのが最善策であろうから。今の図書分類法はまるで、子供向けの公園や校庭がひとつもない街のようだ。