6 点字にまつわるパリ散歩 2010年4月 4月に入り、日に日に木々が芽吹きつぼみが咲きほころんできました。 3月の冷たく枯れた風景とは違ったパリがありました。 芽吹いた黄緑色の草木が、空気を浄化するのでしょうか、春まっただ中のパリは、心持ち排気ガスの臭いも薄くなっている気がします。 町中にも幻想のように咲く桜を時々みかけると、過剰反応してカメラを取り出してしまうのは、日本人のサガなのかもしれません。 ここでは、パリ市内をぶらぶらと散歩して、少しでも点字文化に接点があると思われたことを記したいと思います。 まず、切手のお話から。 昨2009年はブライユ生誕200周年だったので、各国からさまざまな記念切手が発行されました。点字のエンボス加工を施してある切手も多く出ています。 私が知っているところでは、日本では筑波技術大学の大沢秀雄准教授が、切手収集に熱心で、点字関連の切手についても本にもまとめていらっしゃいます。 国内にいても海外切手の収集は可能らしいですが、パリのシャンゼリゼ通り近くで定期的に切手市が開かれていることを『地球の歩き方』で知ったので、足を運んでみました。 切手市は、運動会用のテントと同じ感じで、広い歩道にいくつも並んでいました。 ルイ・ブライユや点字が欲しい、と感じのよい切手商の男の人に尋ねると、 「それはあっちだな」 といって、斜向かいの切手商に声をかけてくれました。 もう片付けを始めていたその無愛想ぎみなおじさんは、パラパラとアルバムを3冊ほど出して、次々とブライユ関連の各国の切手を見せてくれました。 ほとんどが未使用の新品です。 多少はまけてくれましたが、趣味半分商売半分の彼らのところでの買い物は、少し割高だったかもしれません。 * さて、ブライユや点字関連の切手でも、フランスで発行されたものは、切手市ではなく記念切手局で購入するのがオススメです。ずっと安価だし、品揃えも完璧です。 ルーブル地区の大きな郵便局を目指します。 私が得ていたのは中途半端な情報だったため、てっきり郵便局で購入できると思ったので郵便局員と変なやり取りをして、非常に手間取りました。 窓口の郵便局員の年配の女性が、かたくなにフランス語に徹していたせいもあります。 <ルーブル中央郵便局> <記念切手局> ルーブルの大きな郵便局の入口の、通りを挟んで真向かいに、その記念切手局はあります。 ブザーを鳴らしてドアの鍵を開けてもらい、入ると、観葉植物のある広いスペースに、数人の人がそれぞれに書類と向き合っています。 イメージとしては何だかゆとりのある、雰囲気のいい博物館の資料室、といった感じです。 私は、中年の男性に「ブライユの記念切手が欲しい」と言いました。 すると、彼は無駄のない動きで、次々と棚からアルバムファイルを取り出して開きました。 三十秒ほどの早技でした。 「ブライユ関連の切手は、これまで3種類発行されています」 私は驚いて、思わず聞きました。 「あなたは、もしかしてブライユの切手を、全部覚えているんですか?」 彼は少し頭を傾げたまま小さく頷いて、こともなげにこう答えました。 「三十年間、この道ひと筋さ。フランスで発行されたすべての切手を覚えてるよ」 障碍者関連の切手も見せてくれましたが、範囲を広げると切手は際限がないので、ブライユの切手だけ買うことにしました。 私は、彼の仕事人としての技能に感動してしまいましたが、さらに嬉しかったのは、切手が非常に安かったことと、公共的なオフィスなのに少しまけてくれたことです。心があります。 インターネットでも注文できるよ、といって冊子をくれました。 この会社「CERES Philatelie」のURLを示しておきます。 www.ceres.fr-infos@ceres-philatelie.com 帰りがけにカフェに寄り、手に入れたブライユの記念切手を眺めながら紅茶を啜ったのでした。 * たとえば現在パリ随一の稼ぎ頭であるノートルダム寺院も、パリのなかの点字文化というテーマの前史として広い意味でとらえると、そのひとつに数えられるかもしれません。 パリ盲学校の創立者ヴァランタン・アユイが、初めて盲目の少年に声をかけたのが、ノートルダム寺院の門前だったからです。 <ルーブル美術館> ルーブル美術館などもそうです。 『点字発明者の生涯』によれば、1819年にルーブル宮で開催されたフランス産業製品博覧会に、12点点字の開発者シャルル・バルビエが、「秘密文字を、見ないで書ける機械」を出展しており、また、王立盲学校も催し物を出していたそうです。 バルビエがここで盲学校と接点を持った可能性がある、あるいは自分の発明品を盲人用に転用するきっかけを得た可能性があるということになります。 * 点字が生まれて185年。 現在、日本における点字利用者数は減少していますが、フランスでも同じ状況があるといいます。 いま現在の点字文化はパリではどうなっているのでしょう。私が実際に自分の脚で街を歩いてみて、感じたことを書いてみたいと思います。 パリの街中をぶらぶらあるいていると、信号のある交差点には、視覚障碍者用の音声ボタンがついている場所が時々あります。 しかし、日本の街中よりも数としてはかなり少ない感じがします。 また、歩道の終点や交差点などにさしかかる所には、足元に点字タイルが設置されていることがあります。(「点字タイル」というのは私が勝手に呼んだ名称で、正しくは「視覚障碍者誘導用ブロック」というそうです。通称「点字ブロック」ですが、それは登録商標らしいです。) 電車のホームでもそうです。 しかしこれについても、日本と比べると数としては非常に少なくて、必要最小限という感じがしました。盲学校(INJA)の目の前の最寄り駅でさえもそうでした。 パリでは建物の中にも地下鉄などにも、やたらと階段が多くてエレベーターはほとんどありません。 私が泊まったホテルのうち2軒は、7階の部屋に泊まらされましたが、エレベーターのない螺旋階段の建物で、毎日、息を切らして部屋に戻ったものです。 福祉国家。先進国。 フランスの福祉は日本よりも充実していると聞いていますが、街の造りに関しては、日本のほうがずっと親切です。バリアフリーです。 日本に帰ってみると、街のあちこちに点字表示や点字タイルがあって、逆に過剰設備に感じるほどです。 あまり人の歩かない場所にも、黄色い点字タイルが延々と敷かれています。 悪いこととは思いませんが、税金の無駄使いではあるかもしれません。 たとえば市役所の敷地の隅などにある点字案内板は、いったい利用された試しがあるのだろうか、などと感じることもあります。 話を戻しましょう。 そいうわけで、パリの視覚障碍者たちは、急な階段を杖を頼りに一人で上り、頻繁に晴眼者の脚に杖をぶつけながら、点字タイルのない不便な通りを堂々と進んでいくのです。 駅の切符売り場の機械はタッチパネルですから、そもそも点字が立ち入る隙がありません。 でも、人びとがお節介なほどに親切なのがパリですから、そこは何とかなるはずです。 スーパーに入って買い物をしたとき、私は非常に驚いたことがあります。 すべてのスーパーマーケットに置いてあるわけではありませんが、オーシャン(Auchan)という大手メーカーの食料品には、ありとあらゆる食品のパッケージに、できうる限り点字の表示が打ってあったのです。 チョコレートやシリアルの紙の箱に点字。 チーズやハムのプラスチックのパッケージに点字。 ジャムやジュースのガラス瓶に点字。 犬や猫の餌のパッケージにも点字。 感動的なまでに、点字の表示が溢れています。 しかし、サラダ菜の入った袋や、ポテトチップスの薄手のビニールには、同じオーシャン製品でも点字表示はありませんでした。 これらのパッケージに点字表示するのは質的に大変です。 会社の意地の限界、コストパフォーマンスの縁を感じました。 私はこのオーシャンという会社の社会福祉的な意識がなぜ高いのか、その理由を知りません。 しかしこの企業は点字を、視覚障碍者に対してだけでなく、晴眼者にも示しているという面白い側面を発見しました。 点字ではなく、墨点字が印刷されてある商品があるのを見つけたのです。触読はできません。 これは私にとっては驚きでした。 私は墨点字フォントを制作し公開していますが、ときどき人に聞かれるのです。触って読めない点字に意味はあるのか?と。 フランス人は、すでにオシャレのひとつとして、デザイン性を認めながら点字を使っているのかもしれません。 さすが点字発祥の国であると、私は少し嫉妬してしまいました。 ちなみに、パリのスーパーでたくさん見かけた点字ですが、ワインやビールなどのアルコール飲料には、点字表記をひとつも見かけませんでした。 日本では、ビールや発泡酒のプルタブの横に「おさけ」と点字が打ってあるのが普通です。これは文化の違いのひとつです。 日本に帰国して地元のスーパーで買い物をしていて私が見かけた点字は、この類のアルコール製品と、「ポッカレモン」のガラス瓶だけでした。 (のちに「ビタミンレモン」や「ブルドックソース」に付いているのを見つけました) 文化の違いは食料品以外にもあって、たとえば日本の電化製品のお店に行くと、洗濯機、冷蔵庫、ウォシュレットのボタンに点字が付いているのが一般的であることが分かりますが、パリで私が見かけた洗濯機などのボタンに点字表記はありませんでした。 点字をどこでどう使うか。 これも、文化の違いでずいぶん違ってくるものなんですね。 |
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