2020年1月の状況: 琉球ガラスと民芸に関する本を準備中。美術関係と哲学関連の本を構想中。目下、沖縄の歴史についての読書を重ねている。 が、その肝心要の読書も、時間も金も、旅も自然も、愛も権力も、知識も能力も、……何もかもが不足しているのが現状だ。無知の知も、吾れ唯足るを知るも、ありきたりな幸福の本当の価値も、悟るまでに至っていない。何という生き様だろう? 41歳にしていまだ人生の方法を模索し、思案に暮れ、多くが定まらず、言い訳ばかりが胸中に充満して悩ましい。満足な行動ができていない。我ながら情けない。 心身充実し、自由闊達かつ自然や人や物を大切にした生き方をしたいが、……要するに本格的な人生はこれから、という展開になるはずだ。予定帳術や日記にまた凝ってみようと思う。 体調にも若い頃と違う雰囲気が出てきた。11月にはちょっとした血便が出て(検査するとダブルの痔だった)非常に焦った。急に風邪をひいて39.5℃の高熱も出て2日寝込んだり(インフルではなかった)もしたが、さほど消耗しなかったので、子供の頃や若い時と違って少しタフになった感じもする。これが世にいう鈍感力というやつなのか。あるいは老人力か。 2020年 1月9日、那覇空港に正月明けに帰省する妻子を送迎したら、送迎スペースに約10分駐車したかどで、警察に駐車違反を言い渡され後日罰金15000円を払うハメになった。この時の状況と事情を鑑みてどうしても悪質な行為だったと私は思えず、場所的にもグレーなコンタクトゾーンでもあったし、最初からその場にいた警察官の不手際もあったので、何度もそれを訴えた。ところが、わずか2時間後、駐車違反の張り紙をしたその警官2名は「当時の状況はすべて忘却した」ということだった。それでも、私が罰金を払わねばさらなる罰が追加されるとのこと。警察&県公安委員会のやり口は非常に横暴卑劣で人間無視と嘘に満ちており、ふつうの市民の生活を踏みにじるものだった。ふだんから私は地元のお巡りさんの仕事ぶりを尊敬し信頼しきっていたが、その信頼感が裏目に出た。警察&公安の業務にかつての暴力団と同じ仕事を担う社会の暴力装置という要素があったのを、すっかり思い出した一件だった。 子供の成長はすごく早くて焦る。けれど、これまで育児に四苦八苦してきた成果が少し出てきたのだろう、親としての不安は急に減ってきた。学校の成績や特殊能力の有無についてはまぁ仕方がないとして、人や動植物やモノに優しく、ユーモアある賢さと体の健康とを備えているとすれば、それで満足としたい(その割に、私は毎日ガミガミイライラぎみだし、子どもの方もいつでもよい子というのでもないのだが)。あとは子どもたち自身の問題だ。広い世界で、世の中にとって良い存在として、それから何よりも子どもたち自身にとって幸福な日々を生きていってほしいと願う。 で、……子どものことよりも、私は自分の不安定な人生が気になっている。どうにかしていかなければ。 |