正剛さんを悼む夕刻 |
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午後4時過ぎ、松岡正剛さんの訃報をネットニュースで目にして、「ア゛〜ッ!」とひとり大声を発した。
9日も前に、つまり2024年8月12日に最後は肺炎で亡くなったという報道だった。
肺癌で痩せ細っても次々すごい仕事量(この7年間で40冊執筆したという)をこなして頑張っていた編集者・著述家の松岡正剛だが(肩書は他に実業家・研究者・教育者・思想家などと加えることもできようが)、最近はかの長大なブログ「千夜千冊」も発信速度が落ち、その文面のなかに体調不良・心身不調の告白も多くなっていた。
いちファンとしては、とっくの前から心の準備はできていたのである。よからぬ報せが頻繁に脳裏をよぎるくらいには。
ついぞ直接お目にかかることはなかった。それは別にいい。
「千夜千冊」のメインテーマにとうとう“デカルトの著作”は挙がらなかった。そのことも別にいい。
しかし、溜め息ばかりが漏れてしまうのは、80歳。平均寿命とはいえ、やっぱり残念でならない。
ネット上の「千夜千冊」ブログの読み進めを、私は半分ちょっとで止めていたが、心残りとなった。
自分の書棚のあちこちから正剛さんの著作を、時間をかけて引っ張り出してきて、机の上に広げたら、大小6冊があった。
これを全部読んだわけではないが、これ以外の著作だって何冊も読んできたのだ。動画もいろいろ見たし、「千夜千冊」もたくさん読んだ。
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書かれている内容に対し懐疑的に反発することも多々あった。
共感したり称賛したり、感心したり心酔したりも。
つまり、私は若い頃から松岡正剛氏から大きく影響を受けてきたのだ。機会があれば感謝も文句も伝えたかった。
夕方スーパーに買物に出かける。
歩いていると、一歩一歩が重く、一挙一動のきついことに気がついて、心的な傷の深さに自分でも意外な気がした。
そうだ、と思って小さな書店コーナーに立ち寄った。松岡正剛の著作を記念に1冊買い足そう。もちろん、弔いの別様として。
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ベテランの女性書店員は松岡正剛を知らない様子だった。この知名度の奇妙なギャップこそがひとつの“松岡正剛らしさ”である。
松岡正剛の著作は、書店に唯一1冊だけ置いてあった。前に店頭で手にとりパラパラしたことのあるその新書本を買って帰宅した。寝しなに10分だけ読んだ。
ああ、……やっぱり溜め息ばかり出るけれども、長年に亘る一方向的なファンとして、これから色々がんばりますヨ。
御冥福をお祈りいたします。
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2024年8月
河西 大地
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記 : |
8月23日には、沖縄戦の教育分野で活躍し沖国大教授だった吉浜忍さんが74歳で亡くなった。私も何度か言葉を交わしたことがあったから、なおのこと寂しい。琉球大学で琉球史を研究した真栄平房昭さんも今年1月に67歳で逝去された。いわゆる“多死社会”が実際に到来していると感じるのは、著名人や知人の訃報が多いからなのか。 |
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