2016 1/4 元旦、子どもがエンドレスで「お正月には凧あげて〜」の歌を歌うので、家族で海岸へ行き、昨年と同じタコを揚げました。



来年から高級リゾートホテルが建ちはじめるという名城(南)ビーチ。妻が撮った写真。正月1日、この上なく凧揚げに適した風と天気です。
しかし凧揚げというのは、揚げてしまうと別に何もすることがなくて手持ち無沙汰です。
高く揚げたので巻き取るのが大変でした。



5歳の子どもはナマコも触れるようになりました。自然は偉大だぞ!





更新履歴的なメモと、雑多な記録の、Memo ページです。

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2016.5/5  琉球ガラス業界の進展

先日2016年4月28日の午後、沖縄県庁の商工労働部ものづくり振興課で、琉球ガラス業界全体に今後大きな影響を及ぼしていくであろう出来事があった。
業界を二分三分する2組合の上層部が、かの「琉球ガラス訴訟」収束後はじめて膝を突き合わせ、今後のための会合を開いたのである。

どういう経緯で話合いの場がもたれ、どのようなことになったのか。
私はそこに出席できなかったので詳しくは知らないが、知っていることのさわりをちょっとだけ、ここ記しておきたい。

  *

沖縄県には、「工芸の杜」という平成30年(2018年)にオープン予定の施設をつくる計画がある。
それは、沖縄県全体の伝統工芸の中心地として構想された施設で、県が国からの資金を得て進める一大事業である。本島南部、豊見城市内の豊見城城跡公園跡地(新設の空手会館横)に建設が予定されている。

染め物、織物、漆器など沖縄の伝統工芸に関する施設を一箇所に集めて新設するのである。体験工房だの売店だの展示コーナーだのを設けるわけだが、しかし、“琉球ガラス”部門についての展開はすこぶる盛り上がりに欠けていた。(“やちむん部門”もそうである・・・)

その原因は大きく3つあった。
ひとつは、「民」主体で育まれた”工芸”を「官」がバックアップするという構想自体が、様々な問題を最初から孕んでいること。
ふたつめは、県は“琉球ガラス”分野を真剣にバックアップする気が、当初なかったということ。
みっつめは、“琉球ガラス”業界に、協力しあって業界全体を発展させる姿勢というか土壌が、まったく整っていなかったということ。

この3点について詳しく書きたいけれど、今日はやめておく。

  *

それで、・・・いろいろとごちゃごちゃあって、2015年10月頃から私はこの話に首を突っ込んだ。工房にも組合にも無所属の立場からである。

県の職員の人は、「琉球ガラスの担当者というのはいないんですよ」といった。
この構想に“責任者”は存在しないのだそうだ。
「それでも誰かが企画したり、設計をしたりしているはずですよね?」と問うと、「いいえ、みんなで決めています」とのこと。
・・・つい私は、頭のない巨大怪物を連想してしまった。
そしてこの4月、それまでの部署の職員の多くは移動となり、ホントの無関係となり、代わりに無関係だった人が部署に入った。

そもそも県は、「工芸のハブ的な機構」を大胆にも銘打った構想をたてながら、全然やる気がないようなのだ。
私が何度おかしいと言っても、「“組合”しか相手にできない」という意見を変えない。
“琉球ガラス”工房の数が30程あるとして、2組合あわせて8工房程度ということは、単純計算すれば20工房以上取りこぼしていることになるのだが、それで全然平気なのだ。
これでどうやって「工芸のハブ的な機構」を作るつもりなのだろうか?

他にもいくつもおかしい点があった。いろんなことが、おかしい。
なかでも奇妙なのは、とにかく進行具合が不透明であることだ。いちいちが密室で進められる。
だから、片方の組合と県の担当者が話したことは、もう片方の組合は知らない。そんなことが交互に、かつ頻繁におこる。公的機関の方法論として、これでマズいと思わないのだろうか?

・・・ということを、県庁を訪れて私は指摘した。
係の班長の方は、「その点は仰るとおりですね」と言った。「では早急に、2組合が膝を突き合わせて、今後の方針の基礎を話し合う場を設けることにしましょう」

私は、そこに私と、それから超派閥的に“琉球ガラス”業界の協力会を主催している方とを交えて、その(「工芸の杜」についての)話合いをしてくれるように頼んだ。
多分大丈夫です、とのことだったが、その後いただいた連絡で、「2組合が、まずは組合間だけで話し合いたいとのことで・・・」と言われてしまった。
それでも、2組合が対面して話合いの場を持つことそれ自体が、非常に意味深いことではある。

  *

後日報告をいただけるとのことだったが、(例によって)電話がないのでこちらから掛けた。
県庁の係の人は、「いい感じでしたよ」と言った。
業界を二分三分する2組合のトップが、かの「琉球ガラス訴訟」収束後はじめて膝を突き合わせ、ついに今後を話し合う会合を開いたのだ。
本当によかった。

「・・・で?」と、思うだろう。
が、その先はとりあえず未決定だそうだ。次の話合いの予定も、具体的に話し合って決まったことも、べつに何もないらしい。
(※本当は他にも決まったことがあったことが後日分かった。が、この電話で、係の人は私に話すつもりがなかったということだ)

組合に入っていない他の多くの工房を、今後の「工芸の杜」の話合いに参加させることができないかと、さきの(新しく移動してきた)係の人に再び訊くと、「難しいですね」といった。
そして、「できれば全部の工房が、1つの組合としてまとまってくれればいいのですが」などという。じつに簡単にいう。
では、連絡網のような形で連絡会のようなものを作ったら、2組合プラス1連絡会でいけますかね、と問うと、「(あなたのように無関係の人でなく)工房に所属する立場の人が、直接、県に問い合わせてくるなら、いけるでしょう」といった。

このように一事が万事、県庁の人は“上から目線”でことを進める。
連絡ひとつ、なるべく自分から「下々へ」はしたくないらしく、約束の連絡もほとんど自分からはしてこない。
そもそもの始まりから、「この度、伝統工芸をバックアップしてやれそうだが、君たち、どうしたいんだい?」という態度なのだ。
他方、これまで自力で経営をやりくりしてきた各組合(工房)は、いきなりお上から「バックアップしてやるけど?」とか、「工芸の中心地をつくるよ」と言われても、「べつに今更・・・」と思ったに違いない。

けれども実のところ、冷静に考えてみると、この「工芸の杜」の話は“琉球ガラス”業界にとって悪くない、どころか「またとない絶好のチャンス」でもあるのである。

  *

こういうことは、このように私的なブログメモであっても、公の場に書くべきかどうか、注意を払うべき内容である。
けれど私がここに(書きたいことのごくごく一部のみを)書いたのは、やはり県の商工労働部がなすべきことをしていないからだ。2組合が話し合っても、その内容どころか、そんな話合いがあったことすら、業界人のほとんどが知らないだろう。






2016.4/6  「生活に追われっぱなし」について

この頃の私は、まるで高校・大学生の心境のように、迷いと焦りの渦巻きを心身に携えながら生活している。
学生と違うのは、子どものいる生活に追われていることくらいか。

とにかく仕事もやりたい事も、やるべき事も、なかなか思うようには進まず、日々流されている。生活に継ぐ生活。に継ぐ生活。歯がゆい。が、このような日々は無意味なわけでもないのだから、しかたがないといえば、そのとおりの気がしていた。

誰から電話をもらっても、ニ言めには、
「生活に追われっぱなしで・・・」
という決まり文句が口に出た。

先日、久々に故郷の父と電話で少し話した際、互いにとくには話題がなかったので、父が溜息のような口調でこう言った。
「どうかね、頑張っているかね?」
私は答えた。
「うん、いちおう頑張っていはいるけど、生活に追われてばかりでね・・・」

父は淡白にこう応えた。
「そりゃあ、誰だって生活には追われているものさ」

「そうですか?」と私が尋ね返すと、「そうなんですよ?」と父はリズムよく返した。話題がないので、そういう感じで手短に電話は終わった。


ところがそれから数分たつと、私はぼんやりと自身の言葉を反省していた。
「誰だって生活に追われている」、言われてみればそうであろう。
私の状況のように小さな子供がいててんやわんや、というのではなくても、それぞれの人にはそれぞれの生活があり、ただ衣食住を回して暮らすだけでも人生いろいろあるのが当たり前だ。

しかも子供のせいでてんやわんやというのは、私の場合は(正直に言えば)少ないのだ。焦ったり、空回りしたり、身にならないことをしているので、生活がおのずと圧迫されていると解するのが当たっている。

「生活に追われるばかりでして・・・」
などという言葉は、私の場合は言い訳でしかないのだ。
今後はもうこのフレーズを使うまい、と決めた。



2016.3/4  野坂昭如『シャボン玉日本』

昨年亡くなった野坂昭如晩年のエッセイ集『シャボン玉日本 迷走の過ち、再び』を摘み読み。安倍政権の横暴を太平洋戦争と絡めながら批判する、気概と良心をもって平和を志向するなかなかのエッセイ。年老いても気骨ある文筆家だったと、あらためて尊敬の念を抱く。

野坂氏は沖縄にも何度も足を運び、前の戦禍についてよく触れているのだが、ただ、ちょっと気になる表現があった。
p.28「反戦を確かめる旅・・・沖縄へ」の章に、こう書かれている。

「青い海に囲まれ、緑の多い島だが、68年前一木一草焼き尽くされ、沖縄は影のない島となった。」
「かの地に樹齢68年を超える木はない。」

かの地とは沖縄本島を指しているが(たとえば西表島は35%が原生林だし・・・)、とはいえ、「一木一草焼き尽くされた」というのは正確な文章表現ではない。

私が住んでいる激戦地だった糸満などでは、今でもちょくちょく戦争時の兵隊や住民の遺骨が発見されるし、大きな不発弾も出る。
戦後そのままの土地も多い戦跡公園地区には(保護であり放置でもあるのだが)、ジャングルが広がっている。けれどこの深い森は、1945年の凄惨な地上戦ないしその前年の「鉄の暴風」と形容される凄まじい空襲などで、一度焼き尽くされたといわれている。

沖縄南部では、掃討作戦を敷いた米兵が銃や火炎放射器をもって横一列になって進み、さとうきび畑も森も焼きつくしながら、人家もガマ(洞穴)も徹底的に捜索または破壊が行なわれた。それは野坂氏が説明するような、一木一草焼き尽くす徹底的な侵攻だっただろう。

けれど、沖縄本島北部には県民も少なく、かなり大雑把な占領だったようである。
今も、やんばるには原生林が多く残っている。日本で唯一の、恐竜が食べていたヒカゲヘゴ原生林さえもあるという。

ちなみに昨日知人からも聞いた情報なのだけれど、那覇市内にも「末吉公園」内に原生林が残っているとのこと。一木一草焼き尽くされたのは、沖縄南部、しかも那覇市以南のことなのだ。

・・・いや、「一木」はありえても、「一草」というのはそもそもからして誇張表現のはずである。
戦禍を思えば誇大表現ではないのはもちろんのことながらも。





2016.2/17  またもや、Windowsの暴挙

元職場の上司はMac信奉者なので、私がWindowsの文句を言うたび、
「だから、言ってるのに」
という、決まり文句が返ってくる。

こだわり肌のユーザーやデザイナーなら、Macのパソコンを使っていることが多い。わが元上司もそうである。
けれど、普通多くの人は、店頭にずらり並んだWindowsパソコンから使い始めて、それを使い続けるのが自然であろう。
私も、そういう人間なのだ。

しかし、Windowsの暴挙はしばしば起こる。
前回はWindows8であった。実にとんでもないOSだった。
Windows8のことは、もう地団駄を踏むくらい悔しい思いを私は経験した。

掻い摘んで話せば、あれは3年程前のことだったろうか。おもろまちのヤマダ電機で、新しいノートパソコンを買ったのだ。普通に使えるはずだと店員には言われた。
ところが、買って帰って使ってみると、ぜんぜん「普通に」使えなかった。

ひと月奮闘し、やはり返品した。あまりにも使い勝手が悪いのは、何も模様替えしたトップ画面などではない。今まで使っていたソフトがどれもこれも使用不可だったのだ。ソフトが使えずに、どうやって作業しろというのか。ソフトもぜんぶ買い直せというのだろうか。

おもろまちのヤマダ電機の店員とやりあって、結局 5000円出せば返品を受け付けるといわれ、しぶしぶ了承した。
後日、職場のパソコン専門の人に話したら、
「ああ、Windows8はダメダメダメ。無茶苦茶ですよ」
と当然のように彼は言った。「旧版のWindows7を買い溜めしてる人もいるくらいですから」
しかし、当時の雑誌や本やTVに、そういうマイナスな情報は全然出ていなかったのだ。

時が移り、今となってはWindows8は酷い商品だったことは常識だ。
今度こそはというWindows10。無償アップデートも可能とあって、評判は悪くない・・・と思っていたのだ。
私はすぐに、買いたての小さなノートパソコンにWindows10のベータ版から入れてみた。入れて使っているが、悪くも良くもなかった。まあまあグッドである。
ところが。

それから大分経ち、昨日、久しぶりにこのパソコンをオンラインで使うと、「Windows 自動アップデート」が起きた。
急ぎの作業もなかったから、時間がかかっていても放っておいたが、アップデート後は、何だか常用のメモパッドに不具合が少し出た。やがて不具合はなくなった。しかし、・・・

私は貧乏なので、ネット環境はYahoo!BBの7GB/月を上限とするWi-Fiを使用している。
安い。安いけれど、動画など見ると、すぐに7GBを超える。超えると、ぐーんと通信速度が昔のように遅くなってしまうルールが課せられているのが、この激安プランである。

それが、一昨日の一日で3GB以上も使っていた。
これでは、残り半月がとても不便である。
まず妻を疑い、私は訊いた。
「動画でも見た? それとも、何か重いデータを送ったりした?」
しかし、妻も普通にシゴトで使っていただけだった。
私も普通に使っていただけだ。

やがて、私の小さなパソコンの久々のオンライン接続での「Windows 自動アップデート」が原因だったとわかった。
しかし、これは本来おかしなことなのだ。
なぜならば、更新プログラムのインストールの詳細オプションでは、はっきりとこう書いてあるからである。
「(Windows自動アップデートの)更新プログラムは、従量制課金接続(追加料金がかかる可能性のある接続)ではダウンロードされません。」

私のネット環境は、従量制課金接続である。
このことについての細かな定義は、Windowsの公式ウェブサイトにも説明されてあって、それに私のWi-Fi環境は該当している。

このように、大手Windowsは、言っていることとは違うことを勝手にやってくれている。
私は内心、むかっ腹が立った。が、この大会社に文句を伝えるには、「ユーザー登録」していないといけない。電話番号も住所も明らかにしてこの製品番号の製品を使っています、と報告しておかなければ、正当なクレームひとつ言うことができないのだ。
私はそういうのがキライなので、ユーザー登録はしていない。

大手というのは、身勝手千万である。

(ついでにいえば、以前、ジャストシステムという大手ソフト会社も酷かった。買ったばかりのアンチウイルスソフト「JUSTインターネットセキュリティー(ダウンロード版)」が、インストール時点で不具合を起こしたが、コールセンターが電話に出ないのである。結局、買って使えないまま泣き寝入りした。同、ATOK日本語入力についても、買ったはいいが機能に微妙におかしい部分があり、問いたくて電話したかったが、問い合わせ先自体が書かれていなかった。)


さて、さらに調べてみると、このWindows10、なんと米国およびマイクロソフトへのユーザーからの情報提供まで自動で強制的になされるとのことで、嫌な言い方をすれば「スパイウェア搭載」ということらしい。それで研究者などがこぞってWindows8.1に戻そうとするも、1ヶ月以内でなければOSが戻せないような仕掛けになっている。
つくづく、大手はえげつない。

そして・・・私は、気持ち悪くなり、今日全面リカバリ(初期化)を試みた。
しかし、半日かかってもうまくできなかったのだ。Windows8.1でつくっておいた「回復ドライブ」なるものでできるはずなのだが、ネット上のアドバイスでもどうにも我がHPノートPCは戻ってくれない。

なんどもなんども、Windows10のソト面良い起動画面が立ち上がる。
3ヶ月の赤ん坊が泣く。抱き上げてあやしながら、パソコンのキーをおす。
また起動に失敗する。
3ヶ月の赤ん坊を置く。泣かせておきながら、パソコンのキーをおし、また起動に失敗する。
パソコンの野暮な作業に、貴重な人生の時間を吸い取られていく。
今日の午後一から深夜にかけては、そんなふうに私は時間を使ってしまった。。


「だから、言ってるのに」
Mac信奉者の元上司は、私が愚痴ればまたそう言うに違いない。
「Windows10、お前もか・・・」と私は唸るしかない。

Windows10よ。設定画面も細々といじれず、ユーザーを制御しようという意図が強いのは、わざとなのだな。
それならば、こちらも賢くならなければ、大手と米国のただの家畜だ。
結局、我々個人ユーザーは、もっと賢くならなければならないということだ。


10時間ほど使って、私はほんの少しだけ賢くなった。

・私の能力では、Windows8.1の「回復ドライブ」でリカバリが行えなかったことを知ったこと。
・時間を費やして「初期設定に戻す」作業をしても、購入当初の状態に戻らず、Windows10が居座ることを知ったこと(パソコンの「初期設定に戻す」という説明は、つまりウソなのだ)。

私は、この文章入力用として買ったパソコンを、オフラインで使用しようと思いなおした。8.1より重い10に不満はあるが、また自動アップデートで通信料を使われても面白くない。マイクロソフトにPC内のデータを盗られても不愉快だ。


 後日談:ヒューレット・パッカードにチャット相談し、Windows10の挙動によって、初期化が不可能になった可能性があるとのことで、修理に出す運びとなった。
帰ってきたパソコンを再初期化し、ローカル(オフライン)使用している。

それにしても、一連のパソコン不具合への対処というのは、何だか虚しいものだ。治っても生産性がある行為ではないからで、消耗感がある割に、得られるものが経験だけという顛末は虚しい。




2016.1/26  「琉球ガラスの日」を考える!

もし、「琉球ガラスの日」というものがあったなら、ということを2年ほど前から度々考えている。
2016年1月現在において、そういう日の設定は見当たらない。調べて出てこないから、多分ないのであろう。

さて、何のために「琉球ガラスの日」を設けようと思うのかというと、さほどの理由はない。
よく「□月△日は、○○の日」というアイキャッチを見かけるが、それは、「その日に○○について想いを馳せよう」とか、「ちらっとでも思い出してみてください」ということが多い。
イベントも起こしやすい。
だから、琉球ガラス分野でも「琉球ガラスの日」を設定しておくのもよいのではないかと思うのだ。

たとえば。
先日は、私の住んでいる沖縄県糸満市の日があった。1月10日だった。
なぜ1月10日かというと、1(イ)月10(ト)日、ということである。
単なるダジャレなのだ。
しかも「マン」はどこかへいってしまった。不完全でも気にしないみたいだ。

で、その「糸満の日」に具体的には何が催されたのかといえば、(今年は日曜にあたったので、その前日)糸満市内の学校・幼稚園・保育園が開放され、見学・応援ができるとのことだった。

せっかくなので、私は妻と子供を連れて近所の小中学校と幼稚園を見学しに行ってみた。
「お子さんが通学されてるんですか?」
と何度か尋ねられた。
べつに我々の子どもは通学していない。
我々は、「糸満の日」だから来たのである。

家内は、
「授業参観日、ってことなんじゃないの?」
と、我々一家だけ勘違いして来ている心配をしていたが、糸満市のチラシを見るとそういうわけでもなさそうなのだ。
「見学に来てください。そして、子供たちを励ましてあげてください」
というのが、市のコンセプトである。
私は、あえていうならば、反抗期の5歳の長男に「学校とはどういうところか」を見せてやりたかったという思いはあったが・・・

さて、話題を戻そう。
ダジャレでも瓢箪から駒で、上記の通り1月10日はちゃんと「糸満の日」として機能していた。
調べてみると、その調子で色々と「〇〇の日」はある。
予想どおりというべきか、7月8日は「那覇の日」だった。
7月5日は「名護の日」だ。
どちらもダジャレ路線で、「想いを馳せてもらう」のがテーマである。

では、「琉球ガラスの日」があるとすれば、何月何日になるだろう?

まずは、ダジャレでない方向で考えて「琉球ガラスができた日」というのはあるのだろうか?
そういう日は、・・・ずばり言って、ない。

1960年前後、牧港硝子工場に近所の米軍基地から洋風ガラス製品のオーダーがあり、琉球ガラスのスタイルの原形がやがて確立する。しかし、年月日などもちろん不明であり、そんなものがあったら逆におかしい。

その牧港硝子は、戦前のガラス工業をひきつぐ奥原硝子製造所から職人や技術が分派して設立された。その奥原硝子は、沖縄ガラス工業所というところが経営形態を変えてできた会社だ。
沖縄ガラス工業所は、十・十空襲で焼けた前田硝子工場の再開した工場である。
その前田硝子は、戦前沖縄にできたり消えたりしたと考えられる4つのガラス工場の1つである。

つまり、このように琉球ガラスやそれ以前の沖縄のガラス産業を担ってきた工場には、それぞれに設立年月日や操業開始の年月日があるであろう。
が、それらの日付さえも、なかなかはっきりしない。

沖縄で最初のガラス工場は、1909年(明治42年)の沖縄硝子製造所であるが、10月の設立というところまで分かるが日付は不明である。その親会社は2月の設立だ。
そしてそもそもの話、明治末期のスタイルはいわゆる「琉球ガラス」ではない。日本本土と同じ実用のガラス製品を作っていたし、経営者も職人も内地の人間だった。


ということは、「琉球ガラスの日」を考えるには、やはりダジャレ路線で行くべきか。

琉球ガラス・・・
リュウキュウガラス・・・
リュウ9ガラス・・・

・・・難しい。ダジャレが、あてにくい。

しかし、私は思い至った。

Ryukyu(リューキュウ)・Glass。
ジューキュウ・グラス。
ジューキュウ・クガツ。
19・9月。

「9月19日は、琉球ガラスの日」

で、・・・・・・よいのではなかろうか!?

(みなさまはどう思われますか? ご意見賜りたく存じます・・・)

ちなみにの話、2016年の9月19日は9月第3月曜日にあたるため、たまたま「敬老の日」と重なります。
オジィとオバァに感謝を込めて、琉球ガラスを贈ってはいかがでしょうか?
という感じでいかがでしょうか。





20
16.1/17  『天空の蜂』を読んだ震災の日

風邪をぶり返して、1週間を無駄に寝て過ごしました。
またしても風邪っぴきの日曜日。

元来、本は大好きでも、浴びるように読むような読書家でないことがコンプレックスの私。歳を取り、フィクションの読書量がさらに減りました。
しかし最近は病床にいたので、久しぶりにながながと小説を読みました。

ところで、今日で阪神・淡路大震災が起きて21年が経ちます。
東日本大震災が、西日本の人々に少し遠くの出来事として捉えられたように、関西で起きた大震災は、関東に住んでいた高校生の私にはショックだった、という程度でした。この事実は、吟味するに値します。災害とは人間個人にとって何なのか、と。

さて、その震災のあった1995年に発表され、私が今朝4:30に読み終えた小説は、昨2015年に映画化された『天空の蜂』。
これは・・・凄かった!!!

久しぶりに、濃厚で骨太な、感服に値する物語を読みました。
さすがは東野圭吾、文章のうまさも話の志の高さも最高水準です。
こういう本を読むと、私は嬉しい嫉妬にさいなまれます。

自動制御で動く自衛隊の巨大ヘリコプターが乗っ取られ、高速増殖原型炉の上空千メートルでホバリングを続けるという話。
犯人の要求は日本中の原発を止めろ、というもの。反原発派と原発推進派、職業の立場による主張の対立などを見事に描いていますが、犯人が憎悪し標的とするのは、じつは常人の仮面をかぶって不気味に「沈黙する群衆」、つまり我々自身なのだった――という展開です。

それにしても、誰もが驚くように、私もこれが20年も前に発表された小説なのか、と唸らされます。もちろん2011年の東日本大震災を経験した私達には、原発や放射能汚染について、じつに豊富な情報が周囲にあるわけですが、そんな現代でも読んでなるほどと思わされるような話でした。

で、昨年邦画になったのです。
→『天空の蜂』2015年9月12日(土)全国ロードショー!

私が読んだ本も、映画化にあわせ新装版として再び単行本化されたものです。
ある記事よると、東野圭吾が作家としての勝負にでた渾身の一作だったにもかかわらず、社会に黙殺された作品だったといいます。

→東野圭吾が告白していた“原発タブー”体験! 原発テロを扱った公開間近の東野原作映画『天空の蜂』は…

たしかにこの時期の東野圭吾は、デビューしたのに鳴かず飛ばずで、私は、当時の作品に大したものがないからヒットしなかったのだろうとばかり思っていたのですが、・・・とんでもない誤解でした。
その後、売れっ子作家になり、出す作品出す作品軒並みヒットを飛ばし続け、文豪にまで上り詰めた現在もまだ勢い盛んです。

私はファンというわけではないですが、、それでも、「名探偵の掟」シリーズも、「探偵ガリレオ」シリーズも、随分面白がって次々読んだ記憶があります。

改めて『天空の鉢』を振り返ると、突っ込み所が全然ないわけではないのですけれども、それにしても文章が上手くて丸め込まれる感があります。
こういういわゆるクライシス小説のジャンルとしては、アメリカ等々の軍事モノや災害小説と比べれば、ヘリが同じ所に飛んでいるという大変地味な仕上がりとは思います。が、それでもドキドキ読ませるのです。場面も人物も専門知識もストーリーも豊富で、どの部分にも妥協がまったく感じられない。
なにより、テーマが崇高です。これが一番すごい。

骨太な作品はかなり久しぶりだったので、読中読後の幸福感に浸っています。

 追記・1/20 : 
 読後数日して、『天空の蜂』を反芻してみて、3つほど批判的な感想が湧いたので記しておきます。

1) 原発被害の想定も、放射能被害の想定についても、ほとんど触れられていない。
 これを扱っていくと物語から外れるしディープになり、ゴチャゴチャするのでやめたのだろうが、全然触れないと、原発問題の根本を扱わないことになり、またそうなっている。
 いや、この小説の主テーマは「原発を意識せよ」というものだから、入り口止まりでいいわけだが・・・自ずと展開もそこ止まりになるのでスケールダウンだ。

2)原発への賛否を、職業的・生活人的・人間関係的立場の違いとして扱っていて、この多様性の整理が小説を成立させているのだが、そうした割り振りは現実と比べると、かなり物足りない。
 特に足りないのは、原発関係者や原発研究者の(容疑者と末端労働者以外)誰もが、原発の安全性に自信を持ってシゴトをしているという短絡的な設定だ。
 私の直接知っている何人かの原発研究者は、原発が持つ原理的・技術的な不完全さを「正直関係者は、みんなヤバイと思ってる」と言い、ある研究者は「国から、北朝鮮なみの監視体制が敷かれている」と小声でこぼしていた。3.11よりずっと前に聞いたことである。

3) 放射能がどのように人体に影響を及ぼすかの原理が書かれていない。
 東野圭吾は、ヘリや原発については詳しく調べたけれど、被曝の原理までは"詳しくは"分からなかったに違いない。自ずと、小説にも(あれ?)の部分があった。

 というか、驚くべきことに、現代でも専門家のほとんどが多分、根本原理をきちんと捉えてはいないのだ! 私はもちろん無知の一員だったが、矢ヶ崎克馬さんという放射線物理学の先生の説明を読んで、イメージが掴めた。しかし、ちまたに溢れる数多の原発問題関連本の中には、そこまでの解説がぜんぜん載っていない。
 本や雑誌には、放射能の性質や種類からはじまり、被曝に閾値があるかないかとか、どの程度の被曝でどうなるかならないか、どの程度が危険かそうでないか、どうすればなるべく安全か、そして原発が危ないかどうか必要かどうか、過去の事故はどうだったかということなどを説く。もちろんそれらは大事なテーマだ。けれど、「放射能でなぜ鼻血が出るか」という身近で簡単そうなことが、これらでは説明ができない。

 「鼻血の説明」は、放射能の人体への影響がわかっているかどうかの試金石になるのである。3.11以降では、鼻血が出た人が多かったが、それが放射能のせいか否かでまず意見が割れ、そして放射能で鼻血が出るメカニズムはほとんどの学者が説明できなかった。有名学者でも、だ。
 「ビックコミックスピリッツ」の『美味しんぼ』に福島での「鼻血」が取り上げられて、「風評被害」云々の社会問題になった。そして、後の号の同誌に有識者意見特集が組まれた。私も読んだけれど、多数いる有識者の中で、ビビッドにかつ明快に説明していたのは矢ヶ崎先生だけだった。
 知ってしまえば、それが分からずに被曝のメカニズムを語れないと思う。ひいては原発の危険性を真に考察することだってムリじゃないか、と思う。なぜ鼻血が出るのか、なぜガンや白血病など別々の病気になるのか。なぜ突然死が起こりうるのか、そしてそれら個別の被害がなぜ「科学的に立証できない」のか。ぜんぶつながっている。(説明ができないかたは、必ずや矢ヶ崎克馬氏の本に目を通すべきですぞ!)


2016年の今、『天空の蜂』がどうであれば、「とてつもない大作」となったか。私は空想してみました。
やはり、犯人の思惑が「別の覆され方」をするべきだったでしょう。つまり、原子炉の上にヘリが落ち社会に冷や汗をかかせる、しかし大丈夫だった、という犯人が描いた一枚上手なシナリオではなく、もう1人の主犯が実は並ならぬ爆薬をこっそり仕掛けており、原子炉が崩壊、そして福島原発被害並の自体が日本を襲う――
そういう展開であれば、『天空の蜂』は優等生タイプの小説では収まらず、人類の歴史にその名を残す予言的大小説と化けていたに違いなかったのです。
「警鐘」で終わってしまう所が、日本人・東野圭吾の良心であり、また小物である所以です。凄みのある骨太小説でありながら、クレイジーなところまでは突き抜けなかった。それが、今から思えばじつに惜しいのです。



2016.1/14  辺野古で凧をあげた日曜日

正月明け早々、・・・風邪をひきこみ寝込んでいます。
体力勝負の一年の幕開けだというのに、なんとも情けないことです。

一度回復したので、先日の日曜日(1/10)、病み上がりの体をおして、宜野座のフリマへ行き古い琉球ガラスを買い足しに。
その先にあるGODAC(国際海洋環境情報センター)で、日本の有名な潜水艦「しんか6500」などのことについて息子と学んだり。

このゴーダックなる施設は、JAMSTECという国の研究開発組織のいわば広告塔です。ジャムステックとは、いわばJAXA(日本宇宙開発事業団)の海洋版といったところで、実に有用でいろんな研究を行っているので驚きました。

→GODAC(国際海洋環境情報センター)

       

5才の息子は飛行機やメカに目がないので、ここに来ることを随分前から非常に楽しみにしていました。
案の定、「しんかい6500」のプラモデルを買わされました。


そして、その近所である例の辺野古へ。
私は運動家でも活動家でもなく、ただ「辺野古の海に米軍滑走路を作るのは嫌だな」と思っているだけの非力な一般市民です。
だから行ったといっても、静かな海から、安倍政府がムリクリ囲った赤いブイを対岸から見るというだけのためでした。

息子が、
「今日は潜水艦をみにきたのに、なんで、関係ない辺野古なんか行く!」
と言うので、ムッときて私も言い返します。
「お前、安倍さんがアメリカの言うことばっかり聞いて戦争の準備してるの知ってるだろう? 沖縄いじめて。それを、自分に関係ないってどういうこと? 関係ありありですよ。むしろお父さんの時代より、君や君の子どもたちが戦争に行かなくちゃいけなくなる世の中になるかもしれないんだぞ」
息子はいつものように、「はい、はい」と投げやりな返事をしました。

辺野古というと、キャンプ・シュワブの南に位置する辺野古の集落の下の道を行き、米軍基地のフェンスが浜辺に張り出す光景が、テレビでもよく映ります。
しかし、そこからでは三角形に突き出た岬の北に造られようとしている現場が見えません。

そこで、北上しキャンプ・シュワブを通り過ぎ、右に折れてトンネルを2つ抜けた辺りの対岸の浜辺から見ます。ここが、ベスト・ロケーションでございます。

       

浜辺には、地層がはげしく褶曲した岩塊が。


       

対岸には、民意をはげしく歪曲して設置されたブイが。
なんちゃって。

私は、「凧でも揚げるか」といいました。


       

すると、さっそく?

海上保安庁の監視船「かしま」が、ちゃんと監視していたのか、
あるいは偶然通りかかったのか。
ブイの囲いの中でこちらにグーッと近寄ってきました。

       


しばらくして、

「なんだ、凧か・・・」

といった雰囲気で、去っていきました。
「このタコめ!」
とまで思ったかどうかは、わかりません。


        ↑             ↑
        息子        行ってしまった「かしま」

白い砂浜。
斜めに隆起した地層。
その上の松の木。
波の音。

5才の息子は、流木や砂岩を拾いながら、
「きれいな所なのにね。なんで、安倍さん」
とつぶやきました。

私は、何も答えませんでした。




2016.1/4  今日はルイ・ブライユの誕生日!

小学生が知っていて大人が知らない偉人といわれる、ルイ・ブライユ。
2015年には「日本の小学生がネット検索した人名」で織田信長を抜き、ついに堂々の第1位に輝いたらしいです・・・

このことやブライユについてはブログ←に書きましたので、ぜひぜひご覧ください。
また、つい20日ほど前にポプラ社から刊行された新品ぴかぴかの伝記マンガ『ルイ・ブライユ』は、とても素晴らしい本でした。



コミック版 世界の伝記 『ルイ・ブライユ』
 (迎夏生・漫画、金子昭・監修)




 それと、申し遅れましたが・・・

 新年あけましておめでとうございます!
 本年、私も気合をいれて頑張ります。
 よろしくお願い申し上げます。

 みなさまにとって、素適な年になりますように。

   正月4日、雨降り温暖の沖縄より
   河西大地
                                             
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