Memo:
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2017.2/04
沖縄、1月下旬の夕日
1歳の息子をつれて名城北浜を散歩した、1月下旬のとある夕暮れ。
曇りか雨が続いているこの頃にはめずらしく、太陽が出ていた。
雲間からの斜陽がきれいだった。
刻々と姿を変える雲、ゆっくり落ちていく太陽。
波にきらめく反射光。
海は耳に静かにも、胸に騒々しい。
黄金色の雲影と同じ色の空、
水平線に浮かぶ蒼い海市。
海の上に、明日へとつづく道ができ、すぐに消えていった。
2017.2/04
沖縄、1月下旬の虹
夕刻、車で糸満市の湾岸を走っていると、街がやわらかな象牙色に染まった。
遠方に虹が見えた。
よくみると、高圧鉄塔が虹を吸っていた。
虹を作った主を眺めると、
連日の冷雨が汚した窓に目がくらんだ。
雨に洗われた光は、日常に幻想の影をつくる。
旅のさなかにいるような心地よい不安が、車内に宿った。
2016.9/10
晩夏の夕空
夕景の空の美しさは、外に出ない日は見逃すことが多い。
それでも、あわててベランダに出たりしてカメラを向けると、その雰囲気の一端を記録できる。
デジイチを使いこなしていればなぁ、などとも考える。
が、いまは気軽なデジカメしか使えないのは仕方がない。
電線が引っかかるが、それも仕方がない。
田舎に住んではいるものの、人里離れた場所ではなく、人家の街の中なのだから。
日毎に雲のかたちが違う。
西日の当たりかたも違う。
空の色も違うし、風の吹き方も違う。
毎日、毎日が違うのだ。
毎日、毎日、違う。
そんな当然のことが、ちょっぴり不思議でもある。
今日はちょっと足を伸ばして、空港近くの瀬長島を散歩した。
台風が立て続けにやってくる。まだ本年、沖縄への直撃はない。
曇り空から色味の乏しい日光が降りて、溶融したシルバーのように波を照らす。
貴金属よりも美しいのは、生き物の気配があるからだ。
2016.7/31
連日、空が美しい
猛暑と雷で日々天に突き刺されるような沖縄であるわけだが、とにかく空が美しい。
見るたびに心が洗われる心地である。
数日前のベランダからみた桜色のうろこ雲。
散歩はいい。
ぼちぼちと歩を進めるのが、人生のテンポと同じだ。
昨日、名城ビーチの夕暮れは暖かな色に染まっていて不思議だった。
とても静かだった。
耳を済ませると、ごくささやかな波がささやきかけてくる。
なぜだか、ふと、沖縄を旅した遠い若い日を思い出して懐かしくなった。
私の場合は人造物に囲まれて生活していると、何か重要なものをいつしか丸ごと忘れてしまう。
自然はそれに思い至らせ、あっという間に満たしてくれる。
水平線の辺りには、いくつもの積乱雲が生まれていた。
5kmの高さを超えると、雷を発生させる云々と記事で読んだ。
5km。
・・・やはり、雲のスケールは大きい。
地球は自転し、太陽を向こうへと追いやっていく。
空は刻々と様子を変化させていき、光と闇とが、空を半分に分けてしまった。
きれいだなあ、と何度も口にする。
本当に美しかった。
それで、一日が暮れていった。
帰路につくとき、見ても見なくても美しい光景が日々そばにあることを思った。
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