コラムD
〈世間では「琉球ガラス」への理解がほとんど進んでいない?〉


沖縄でガラス生産が始まって100年余り、琉球ガラスが始まってから55年ほどになりますが、世間ではあまりにも「琉球ガラス」についての理解が不足していると言わざるをえません。
まず現状を確かめるために、以下に、沖縄紹介本の中で琉球ガラスがどのように紹介されてきたかをざっと引用して、私の評価・コメントを付記していきます。
                    *

@『沖縄 OKINAWA』――沖縄県・沖縄県観光連盟、1987
 官制の、沖縄観光誘致用の大型で薄いパンフレット。二か国表記(日本語・英語)で写真が大きく載っている。

「琉球ガラス
 肉厚で七色の透明感ある色合いがいかにも南国らしいガラス製品。瓶のくずを利用し、これを溶かして原材料にして、くず瓶の色をそのまま用いている。西欧風の形が多く、美しい。」

△ 実際には、くず瓶(廃瓶)の利用は、1987年当時には急速に減ってきていた。
△ 巻末に掲載されている観光地のガラス工房に「琉球ガラス村」のみが挙げられているが、説明にあるような「くず瓶」は琉球ガラス村では使用されてこなかった。
△ 「西欧風の形が多く」ではアバウトすぎる。まず西欧のガラス工芸が極めて多様だし、また琉球ガラスには和風の形状も沖縄独特のデザインも多いのである。
■ 官制の沖縄紹介パンフレットながら、全体的に表現が正確でない。

                    *

A『沖縄いろいろ事典』――ナイチャーズ編・垂見健吾他著、新潮社(とんぼの本)、1992
 沖縄に関する言葉を説明する、読んで楽しい読み物風の事典。写真なども多く掲載されている。

「琉球ガラス
 素朴で力強い形とあわい色彩のガラス器。またの名を沖縄ガラスという。第二次大戦中に軍のガラス工場で働いていた人が、戦後コーラやジュースの瓶を材料に当初は日用品として作ったという。最初はアメリカ人の間に人気が高まり、今では沖縄の伝統工芸品の一つに入ってしまった。淡水色は一升瓶やコーラ、緑色は清涼飲料水の瓶、茶色はビール瓶。観光地に行くと、製作工程が見学できる。溶かした真っ赤なガラスを、吹き竿と呼ばれる鉄パイプで吹きながら形を作っていく。すべて手作りなために、色、形、光沢が一つ一つ異なり、味わいがある。
 僕が初めて琉球ガラスを東京の民芸品店で見た時、メキシコの民芸品かと一瞬まちがえてしまった。ずっしりした重さと微妙な色合いにすっかり魅了されてしまった。グラスの棚に1ダースほどあるが、一つ一つのどのコップにも味わいがある。   (沢野ひとし)   」

△ 「あわい色彩のガラス器」かどうかは、製品によって異なる。濃く暗い色も原色系も多いし、製品はガラス器とは限らない。
× 2文目「第二次大戦中に――」の説明は、おそらくは『原点民藝』(池田三四郎、用美社、1986)からの引用であるが、まったくの事実無根。
△ 「今では沖縄の伝統工芸品の一つ」も微妙である。琉球ガラスが沖縄県には「伝統工芸製品」に指定されたのは1998年であり、日本における経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」には入っていない。
○ メキシコの民芸品に似ているという指摘は鋭い。初期の琉球ガラスには、アメリカ軍関係者からメキシコのガラス工芸の写真を見せられて作ったというものがあるといわれる。
○ この本に載っている写真の琉球ガラスがよい。1960年代〜70年代の昔ながらのスタイルと思われるグラスや水差しで、味わい深い。

                    *

B『オキナワなんでも事典』――池澤夏樹編、新潮文庫、1999
 沖縄に関する言葉を説明する、読んで楽しい事典風の文庫本。

■ "沖縄を知り尽くす旅にひとしい一冊"という触れ込みだが、この事典に「琉球ガラス」は一切出てこない。『沖縄いろいろ事典』からの後継版ということだが、分野別索引の「美術工芸品」に並ぶ26もの項目にも「琉球ガラス」はない。先発版にはあった「琉球ガラス」の項目は消えたのである。

                    *

C『最新版 沖縄コンパクト事典』――琉球新報社編、2003
  沖縄に関する言葉を説明する、本格的でコンパクトな事典。

「琉球ガラス
  ガラスはエジプト周辺で紀元前1700年には既にあり、日本では弥生時代の遺跡からガラス璧(へき)が出土している。沖縄では明治より戦前までランプのホヤや薬瓶などの実用品に作られた。戦後、米国人向けにくず空き瓶を利用した手作り商品として人気を呼び、日用品、装飾品など広く生産された。宙吹き法と型吹き法があり、原料を1300度以上のルツボで溶融し、吹竿の先端に巻取り、息を吹き込み成型、整型窯であぶり、徐冷窯を経て製品化される。」

△ 誤字が散見される(成型→成形、整型窯→整形窯)。カタではないのだ。
△ 「琉球ガラス」の説明は半分のみで、あとは「ガラス工芸の始まり」と「吹きガラス」の説明になってしまっている。琉球ガラスの説明も復帰前までの段階で止まっている。
■ 沖縄の大手地元新聞社の版を重ねている本なので、もう少し丁寧な説明が欲しいところ。

                    *

D『沖縄を知る事典』――「沖縄を知る事典」編集委員会編、日外アソシエーツ、2000
 沖縄を分野ごとに分けて説明する、500ページを超える厚手のハードカバー本。

「用語解説・沖縄の工芸 琉球ガラス
 くず空き瓶などを利用して日用品やお土産品として人気が出てきている。琉球ガラス村(糸満市)などの工房がいくつかできている。」

△ くず空き瓶(廃瓶)を原料としている工房は、現在ではいくつかしかない。紹介されている琉球ガラス村では、1985年の発足当時から廃瓶を使わず原料ガラスを使用している。
△ 「人気が出てきている」とは不正確である。1960年代にはアメリカ人向けに人気が高まり工房が次々と設立され、1970年代には日本本土からの観光客向けに販売が伸び、全盛期を迎えた。琉球ガラスの施設に観光バスが数多く並ぶほど隆盛を誇ったという話があるほどだ。
△ 「工房がいくつかできている」とあるが、2000年当時の工房数は20社ほどもあった。
■ 厚手の本にも拘わらず「琉球ガラス」に関する表記は、ご覧のとおりわずかである。

                    *

E『ジュニア版 琉球・沖縄史』――東洋企画、新城俊昭(沖縄歴史教育研究会)、2008
 「沖縄をよく知るための歴史教科書」としての、わかりやすく充実した学生用の資料集。

(第5部 戦後の沖縄 米軍支配下の沖縄文化)
「…
 戦後さかんになった工芸品として、琉球ガラスがあります。ガラス製品の製造技術は、明治期の終わりごろに長崎や大阪の職人らによってもたらされ、石油ランプのほやや薬ビン・駄菓子入れビンなどがつくられました。戦後、廃ビンを利用してつくられたコップや水差しなどが米軍関係者の目にとまり、工芸品として脚光をあびるようになりました。琉球ガラスの特徴は、色彩が鮮やかで温もりがあり、さまざまな創意工夫がなされていることにあります。近年では、美術工芸品としての価値も高まっています。
 …」

○ 沖縄のガラス製造の発祥について、説明が必要十分に丁寧に書かれている。美術工芸品としての価値が高まっている、という指摘でまとめているのも的確。
△ 琉球ガラス以前の話から、いつの間にか琉球ガラスの話に移ってしまっている。琉球ガラスの成立が説明されていない。
△ 製品が米軍関係者の目にとまって脚光を浴びた、という流れでは、途中経過がすっぽり抜けている。琉球ガラスのデザインの成立と製造が米軍関係者のオーダーから始まった、という史実が示されていないからである。
△ 琉球ガラスの特徴まで具体的に挙げるのは素晴らしい試みではあるが、難題でもある。「色彩が鮮やか」は、くすんだ色や透明系の製品には当てはまらないし、例えばメジャー商品「たるグラス」や「モール水差し」に「さまざまな創意工夫」は施されていない。製品には、伝統的な形状を保つために工夫を加えないものが数多くある。
■ 学校用資料集だけあって比較的正しく丁寧に説明してあるが、不正確な表現も散見される。

                   * * *

――以上、ここに挙げた本は、いずれも沖縄を紹介している本格的な図書ですが、それでも「琉球ガラス」についての解説はこの程度で、必要十分でないばかりか誤謬が多いのです。

このような世間での理解不足は、琉球ガラスの作り手・売り手側による慢性的な説明不足が一因になっていると捉えることもできると思います。しかも、作り手・売り手とも熟知していないということは、そういったことへの関心が社会全般に不足していたともいえます。研究者の不在も気になります。

これから益々個性的な作品が生まれ、説明づけが難しくなる「琉球ガラス」ですが、積み上げられた歴史の層が厚くなり、沖縄の工芸品としての認知度が向上するなかで、言葉でも詳しく正確に広く伝えていくことが一層求められているのではないでしょうか。

琉球ガラス秘話*もくじ
コラム@
沖縄で最初のガラス生産はいつ?

コラムA
琉球ガラスの原料は廃瓶?

コラムB
「琉球ガラス」という名称はいつ、
どのようにできたの?

コラムC
ヒビ模様や気泡は、琉球ガラス独特
の特徴なの?

コラムD
世間では「琉球ガラス」への理解が
ほとんど進んでいない?

秘密ではないけれどほとんど知られていない ちょっとディープな琉球ガラス・エッセイです。
ここでは、基本的な疑問にできるだけ答えてみたいと思います。
これほど有名なのに、不明点や誤解が多すぎる「琉球ガラス」。